【#読書】#戯曲 平田オリザ「火宅か修羅か・暗愚小伝」  #演劇

最近、平田オリザさんがTwitterを始めた。コロナウィルスについて野田秀樹さんが付けたぼうぼうの火を、キレイに付け替えていた。頭のいい人は違う。

戯曲 「火宅か修羅か」
檀一雄の小説「火宅の人」に着想を得て書かれた家族のものがたり……とのこと。

後記に書かれていた。平田さんが木下順二さんと対談し、そのときから視線をより意識するようになった、というようなこと。

そのせいか、この戯曲では平田オリザの演劇の特色である「同時多発会話」(自分も理解しきってはいないので乱暴な説明だが……舞台上の二カ所かそれ以上で、それぞれ関係の無いグループが同時に会話すること。観客は、雑踏の中で誰かの声を聞き分けようとするときのように、それぞれの声に集中することとなる。過去に舞台を観た感触では、これが始まると舞台により惹きつけられる。ただ、自分で以前”静かな演劇”を試したことはあるが、同時多発会話は使わなかった)が多い。
とても多い。その度に舞台上で視線が飛び交ったのだと思う。

特別なことは起こらない。凝った筋立てもない。

実は途中まで、つまらないと思いながら読んだ。舞台作品としては面白いはずなので、戯曲がそうでも仕方ないと思った。途中から、変わった。終盤、3分の2か4分の3か、その辺りから変わった。
結果として読み終えた自分は、何かを抱えた。重たいもの。とても重たい何かを、抱え込まされた。それがなんだか、よく分からない。いまでも分からない。だから考える。あの家族について。そうでない家族について。知っている家族について。知らない家族について。

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