こないだ、ももクロのラジオに槇原敬之が出てた。カバーアルバムを出した?その中で、大江千里の「Rain」も。
ももクロではないおじさんのMCと、槇原敬之と、共感し合ったそうだ”この曲は鮮烈だった”。
大江千里の「Rain」新海誠監督も、何かの映画で使っているとか。このときは秦基博が歌う。記録にはあんまり残っていないが、誰かの、誰かの記憶には刻みつけられている。「痛い」楽曲だ。「イタい」楽曲ではないと思う。大江千里の曲は、そうだ。「イタい」楽曲だと思われても仕方がないが、「イタい」楽曲ではないと思う。違いはなんだ?
思いつきだが、ある程度の第三者性、客観性か。歌詞の中には描写も多い。心の中のすごく近いところと、幾分距離をおいたところと、その間を行ったり来たりしてる。
にしても。
鷺沢萠はいなくなってしまった。大江千里も、もう、歌詞は書いてない。「言葉で何かを切る」「そしてそこから還ってくる」ということは造り手を消耗させる。矢作俊彦の寡作さに文句は言うまい。

【読んだ本】「フィフティ・ピープル」チョン・セラン。わたしはこのなかにいる。