書影は電子版の「甲子園の空に笑え!」。電子版では「銀のロマンティック……わはは」はこちらに収録されている。単行本ではないのですよ。前にも書いたが、「あれ、おれは電子版では銀のロマンティック~は買い直さなかったのか?」と真剣に悩んでしまった(笑)。
あれはまだ私が高校生だったころ(だと思う)川原泉のフィギュアスケート漫画「銀のロマンティック……わはは」そのタイトルをはじめて見た。「……わはは」だ。問題は「……わはは」だ。なぜタイトルに「……わはは」が付くのか。不思議に思うのと同時に、なぜか納得もしていた。「さすが川原泉」不思議に思ったが何故だか同時に、絶妙なタイトルだとも思った。なぜだろう?
なにせ約30年前の話だ。
まだ、フィギュアスケートは、わたしら日本人に馴染んでなかった。
誤解を怖れずに言えば、まだ、似合ってもいなかったのではないか。フィギュアスケートを見るだけでも。
そのころのフィギュアスケート事情は自分は分からないのだけど、少女マンガに置き換えて見れば分かる。エドガーだアランだ言ってはみても、本から顔を上げれば自分がいるのは東洋の狭い人の塊の中だ。ティーポットやマザーグースなど、遙か遠い世界どころか実物に触れることなど一生ないだろうと思う、そういう世界だ。「好きでいて良いのか」「好きであるということもバカバカしいことではないのか」夢を見ることは自由なはずだが、夢を見ることに後ろめたさを感じることもある。
だから「……わはは」だったのではないか。「憧れてもいいのだ」と。似合っていないかもしれないが「憧れていいのだ」「好きでいいのだ」と「……わはは」と少し笑うことで、隙間を埋めてくれたのではないかと思う。
しかし……30年過ぎて。日本は完全にフィギュアスケートをものにした。フリルもスパンコールもものにした。SF映画はいまだものにしていないが、フィギュアスケートはものにした。たいしたもんだと思う。