米澤穂信「いまさら翼といわれても」

いまさら翼といわれても

……読んだ読んだ、読んじゃったよ、おい。

米澤穂信の最近の作品についてググると、嫌な後味という言葉が 目に付く。作品がけなされているわけじゃ、ないだろう。
どちらかと言うと、米澤穂信の評価が上がったのは、嫌な後味と言われる様な作品を書いてからだ。

なにかを変えることは、作者にとって挑戦だ。実は自分は、2006年に刊行された「夏季限定トロピカルパフェ事件」を読んでから、長い間米澤穂信は読んでなかった。もうまったく、言ってしまうと赤面するような言葉でしか書けないのだが、学園ものとしての作者の、ルール違反というか、約束違反がある様に思えたからだ。
それは、”嫌な後味”を取り入れるための、米澤穂信の作家としての変化(成長?(笑))だったのか。

生きていく過程は嫌な後味だらけだ 。

どう処理するかはともかく、人間を書きたいと思えば、嫌な後味を書きたいと思うのも当然だ。
米澤穂信は「大人」を書くようになってから人気を得た様に思う。6年ぶりに昔ながらの「少年少女」を描くとどうなるのか?それを知りたくてこの本を手に取った。

大丈夫だ。昔なじみの彼らが、大きく変わったわけじゃない(ただ、小さくは変わった奉太郎と里志の関係は「え?そういうものだったの?」と感じた。俺だけかな……)。

描かれるのは日常の謎だ。読んでいてどうにも、どうにもというなんだかよく分からない言葉を発するしかないほど、日常の、力と、深さを思い知らされた。

”日常の謎”いや、”日常”というと、なにやら軽いもののように思う。しかし考えてみれば私たちは、日常の中で、喜んだり絶望の淵に落とされたり、運命を変えたり変えられたりするのだ。

短編集の最後に収められた表題作「いまさら翼といわれても」。この作品には、異様な迫力がある。日常的な事柄しか出てこないが、異様な迫力がある。実はこれを読み終わってからすぐに「秋期限定栗きんとん事件」を買った。自分の頭が拒否した「夏季限定トロピカルパフェ事件」の続編だ。これをさせれば、作者の勝ちだよね……。

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