沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択 | |
![]() |
サラ パレツキー Sara Paretsky
早川書房 2010-09 |
うーん。
うーん。
うーん。
必読。
ほんっとに、こういう偉大な書物を目の前にすると、自分の感想なんて書くのが申し訳ないなあと思う。思うんだけど書く。書いてちょっとでも宣伝になってくれるといいなあと思いながら書く。書いたあとで落ち込む(笑)。ついでにいえばいまこの本はわたしの目の前にはない。図書館に返すから。どうでもいい話~。・・・やっぱりあとで落ち込むだろう。まあいいか。
それでは、どうでもよくない話を。
「どうも、いま現在、アメリカという国はわたしらがイメージで思ってるほどの”自由な国”ではないらしい」ということ。
うすうすは知ってたけど、やっぱりそうらしい。でもそれは、けっこう以前からのことだったらしい。9・11はそれを加速したけど、流れ自体は以前からあったらしい。なんでなんだろう?フラワー・ムーブメントとかいわれるようなものは、まぼろしだったのか?それともその時代の反動がいま来ているのか?コンピュータ・ネットワークは自由に貢献しているのか?それとも意外と締め付けに貢献しているのか?
もうひとつ。
この本を読んだ理由は、アメリカの「ヒーロー」像が、9・11の前後で変わっているのかそうでないのか知りたかったからだ。この本にその答えが書いてあるとは思わなかったが、ハードボイルド探偵小説の作者としてアメリカの「ヒーロー」をどう思っているのか、サラ・パレツキーが考えていることの一端はは分かるのではないかと自分は思い、この本を読んだ。
結果としては、ちがう答えを得た、という感じ。ヒーローはどうだか分からないが、サラ・パレツキーは9・11の前もあとも変わってないんだろうということ。ただその変わらなさを保つのは、おっそろしく大変なんだということ。