「愛してる」 鷺沢萠(角川文庫)

 芝居を再開する前だったか、後だったか、それともその境目のことだったか、この本が、自分の鞄の中にずっと入っていたことがあります。
 何度か、何度となく、読み返して、そのまま、持ち歩いて。ただ、鞄から取り出すのが面倒なだけだったのかも知れないとも思いますが、ですが、自分はこの本を、お守りのようにして持ち歩いていたのかも知れません。
 そのときの、なぜだか黒いクレヨンが薄くついたようになった、表のカバーが少し破れた文庫本は、いま家の中のどこにあるのか分かりません。手元にあるのは、3ヶ月ほど前に、読み直すために買った、けれどまだ読み返していない新しい本です。
 「思ったり感じたりした者の勝ちだ」
 本を開くと、まずこのパラグラフが目に入ってきます。まるで、この言葉を誰かに捧げるように。自分が何かに負けているような、自分の居場所がどこにもないような、そんな気がしていたのだと思います。この連作短編集の登場人物たちも、幸福とか幸運とかからは離れたところにいる人たちです。ですが、彼らは負けてはいない、勝っても、勝とうともしていないのだけれども、決して負けてはいない、そして彼らの姿に触れることで、自分はいくらかほっとできたのではないかと思っています。
 鷺沢さんが亡くなったということが、誤報でもウソでもないのだと、納得できるようになってきました。
 ただ、たとえどういうことがあっても、彼女の作品世界には、自分がいま居るところになじめなさを感じている人間にとって、光を感じさせる何かがあると思います。
 いまさらではありますが、鷺沢さんのホームページとリンクを張ってみます。ただ、もっと早くやっておけばよかった。
 ウチの劇団の名前を決めるときに、この小説の舞台となる酒場の名前にちなんで、「ファッサード」という名前にしようかと思ったことがあります。なぜかは忘れましたが、結局提案もしませんでしたが。